研 究 内 容
1.古代の交通と交通路の研究
学部卒業論文から博士課程まで、日本古代の交通路と、それを造った律令国家の政策などについて研究しました。その成果を博士学位論文として国学院大学に提出し、後に出版しました。
古代の幹線道路、特に奈良時代の道路は直線的で幅の広い計画道路でした。しかし、律令国家の交通体系は陸上交通に極端に偏っており、また計画道路も単なる交通路としては規模が大きすぎます。これは、国家成立以前の交通秩序の限界を克服するためや、初期の計画道路が外交儀礼に深く関わって形成されたこと、生まれたばかりの国家と天皇の威信を喧伝することなどが計画道路に期待されて、特異な性格の交通路になったと考えています。それが、平安時代になると、法と制度によって国家秩序が維持できるようになり、実用的な路線や道路幅を有する後期道路体系に変化していくことになります。また、これらの検討を行うために、関東地方や大和国・陸奥国・出羽国出雲国・備前国・美作国などの古代道路の復原やその変遷課程などの事例を研究しました。
この他の交通史研究としては、関東地方の水上交通の検討や、富山県入善町の「じょうべのま遺跡」を題材とした古代港の構造の研究を行い、「平成の遣唐使」(朝日新聞社・日本歩け歩け協会共催)の委嘱を受けて、中国国内における遣唐使ルートの調査にもたずさわりました。
また、古代道路の復原方法や研究成果を、できるだけ分かりやすく解説した新書も出版しました。下のCGは、その出版の際に、私が作成した播磨国布勢駅家の想像復原図です(奈良文化財研究所の馬場基さんの指摘を受けて改良し、さらに異なる視点からの画像を追加しました。2003年11月現在「バージョン3」です)。駅家は、主要幹線道路=駅路に沿って約16kmごとに置かれた施設で、馬などをの交通手段を常備し、宿泊設備などを設けていました。
*画像をクリックすると、拡大図を見ることができます。 | ||||||
全景(南西から) | 全景(正面) | 全景(南東から) | 門 前 | |||
正 殿 | 正殿と食堂 | 正殿と脇殿 | 中 庭 |
2.藤原京の研究
この研究は、橿原市土橋遺跡などで藤原京の京極を示す条坊道路遺構が発掘されたことに触発されて、従来とは異なる藤原京復原案を提示したものです。
研究の結果、1)藤原京は、10里四方の京域と「10条×10坊」という条坊構造を有する、2)この構造は、『周礼』に見える都城プランと類似する、3)藤原京は多元的な構造を有し、設計・造成・建築の各段階では、それぞれ微妙な違いがある、4)藤原京の構造は天武9年頃に設計されたが、天武朝の新城、持統朝の新益京、文武朝の藤原京は、それぞれ宮や京域が異なり、藤原京には多段階にわたる建設過程がある、5)藤原京には条坊呼称法が無く、条坊地割と条坊呼称法によって成立する条坊制は未完成であった、6)藤原京の復原に用いられてきた『令集解』職員令左京職条朱説の成立時期は9世紀中頃であり、その内容からみても、藤原京復原の根拠足り得ない、などの点を明らかにしました。
下の図は、私が推定・復原した藤原京の京域と条坊構造です。なお、奈良文化財研究所の小沢毅さんも、ほぼ同様な仮説を提示されています。
藤原京に関する諸説 | 藤原京の設計プラン | 藤原京の推定復原 |
3.古代の流通経済システム(市場・交易・貨幣)の研究
現在、中心的に取り組んでいる研究テーマです。
まず、正倉院等に伝来する資料群「調庸物墨書銘」を、墨書・押印された貢進物と捉え直して、その機能を追究しました。そして、1)共に古代の徴税に関わる文字資料ではあるが、墨書押印貢進物と荷札木簡の間には、律令規定の有無、国印の有無、作成段階の相異などの点で違いがあり、両者の機能を同一のものとすることはできない、2)正倉院蔵の紙箋は、縦の寸法がいずれもほぼ一尺であること、国印が切り飛ばされている例があること、字軸や紙の向きが傾く例があることなどから、書印包紙を二次加工したものと見られる、3)墨書押印貢進物は、税物の検収・管理・出納などの実務に用いられる機能を包摂していた、4)墨書押印貢進物の独自かつ本質的な機能は貨幣機能にあり、他の繊維貨幣と区別したり、その価値段階や生産時期を明示するために実物に墨書された、5)国印は貨幣偽造防止の観点から解釈できる、などの点を指摘しました。
また、古代の交易について、特にその目的や、関わった人々の人物類型などについて再検討を行いました。その結果、自地域以外の産品の獲得を目的とした交易に従事する交易者が多く存在すること。役所や皇族・貴族の交易は、基本的に獲得型交易であること。他方、利潤を求める交易者は零細で、社会的地位も低いこと。したがって、交易量全体に占める割合では、獲得型交易が多数を占めるであろうことなどを明らかにしました。
また、国立歴史民俗博物館の共同研究員として、基幹研究「日本における都市生活史の研究−古代・中世における流通・消費とその場」に参加し、古代・中世都市生活史データベース(物価表)の制作などに携わりました。
業 績 一 覧
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単 著 書 | ||||
著 者 名 | 書 名 | 発 行 | 発行年月 | 執筆頁数 |
中村太一 | 日本古代国家と計画道路 | 吉川弘文館 | 1996年7月 | 288頁 |
中村太一 | 日本の古代道路を探す −律令国家のアウトバーン− |
平凡社(平凡社新書) | 2000年5月 | 253頁 |
共 著 書 | ||||
編 者 名 | 書 名 (括弧内は担当部分) | 発 行 | 発行年月 | 執筆頁数 |
関和彦 | 古代王権と交流(2) 古代東国の民衆と社会(古代東国の 水上交通−その構造と特質−) |
名著出版 | 1994年5月 | 39頁 |
木下良 | 古代を考える 古代道路 (山陰道−風土記にみる古代道路) |
吉川弘文館 | 1996年4月 | 22頁 |
林陸朗・ 鈴木靖民 |
日本古代の国家と祭儀 (古代水上交通に関する基礎的考察) |
雄山閣出版 | 1996年7月 | 20頁 |
白石太一郎・ 吉村武彦他 |
列島の古代史(4)人と物の移動 (道と駅伝制) |
岩波書店 | 2005年12月 | 37頁 |
論文・研究ノート | ||||
著 者 名 | 題 名 | 掲 載 誌 | 発行年月 | 執筆頁数 |
中村太一 | 山陽道美作支路の復原的研究 | 歴史地理学・第150号 | 1990年9月 | 13頁 |
中村太一 | 武蔵国豊島郡における 古代駅路の歴史地理学的考察 |
北区史研究・第1号 | 1992年3月 | 20頁 |
中村太一 | 『出雲国風土記』の方位・里程記載と 古代道路−意宇郡を中心として− |
出雲古代史研究・第2号 | 1992年6月 | 27頁 |
中村太一著, 郭暁華他訳 |
《出雲国風土記》的方位記事及古代道路 | 文博・94巻2号 | 1994年3月 | 6頁 |
中村太一 | 備前国における 古代山陽道駅路の再検討 |
古代交通研究・第3号 | 1994年6月 | 23頁 |
中村太一 | 大和国における 計画道路体系の形成過程 |
国史学・第155号 | 1995年5月 | 32頁 |
中村太一 | 東国国府の立地と交通路 | 国史学・第156号 | 1995年5月 | 12頁 |
中村太一 | 藤原京と『周礼』王城プラン | 日本歴史・582号 | 1996年11月 | 10頁 |
中村太一 | 隋・唐・宋代の大運河 | 栃木史学・11号 | 1997年3月 | 10頁 |
中村太一 | 港津の構造 −じょうべのま遺跡に関する一試論− |
古代交通研究・第6号 | 1997年6月 | 6頁 |
中村太一 | 計画道路と古代社会 | 歴史地理教育・578号 | 1998年5月 | 4頁 |
中村太一 | 藤原京の「条坊制」 | 日本歴史・612号 | 1999年5月 | 19頁 |
中村太一 | 古代日本における墨書押印貢進物 | 栃木史学・14号 | 2000年3月 | 50頁 |
中村太一 | 地理資料にあらわれた古代駅路 | 古代交通研究・第10号 | 2001年2月 | 13頁 |
中村太一 | 古代国家と計画道路 | 歴史評論・626号 | 2002年5月 | 7頁 |
中村太一 | 武蔵国豊嶋駅家と古代駅路 | 地方史研究・299号 | 2002年10月 | 4頁 |
中村太一 | 陸奥・出羽地域に おける古代駅路とその変遷 |
国史学・第179号 | 2003年3月 | 37頁 |
中村太一 | 山城・駅路・令制国 −備前・備中国を中心に− |
コル・11号 (古代山城研究会) |
2003年5月 | 6頁 |
中村太一 | 日本古代の交易者-目的とその類型- | 国立歴史民俗博物館 研究報告・第113集 |
2004年3月 | 23頁 |
中村太一 | 古代・中世 都市生活史データベースの構築 |
国立歴史民俗博物館 研究報告・第113集 |
2004年3月 | 23頁 |
中村太一 | 日本古代国家形成期の都鄙間交通 −駅伝制の成立を中心に− |
歴史学研究・820号 | 2006年10月 | 10頁 |
中村太一 | 日本古代の都鄙間交易 −交易圏モデルの再検討から− |
国史学・第191号 | 2007年3月 | 27頁 |
報告書・図録・事典類 | ||||
編 者 名 | 書 名 (括弧内は担当部分) | 発 行 | 発行年月 | 執筆頁数 |
真壁町歴史 民俗資料館 |
真壁周辺の古道−往還の今と昔− (常陸国真壁郡の古代官道) |
真壁町歴史民俗資料館 | 1997年10月 | 14頁 |
市原市 教育委員会 |
上総国府推定地 歴史地理学的調査報告書 (上総国府関係古代・中世史料集) |
市原市教育委員会 | 1999年3月 | 11頁 |
荒井秀規・ 櫻井邦夫他 |
日本史小百科 交通 (駅伝制・関の機能・牛車と車・遣唐使船) |
東京堂出版 | 2001年6月 | 14頁 |
群馬県立 歴史博物館 |
古代のみち−たんけん!東山道駅路− (日本古代の駅制と駅路 −東山道を中心に−) |
群馬県立歴史博物館 | 2001年10月 | 6頁 |
黒田日出男・ 加藤友康他 |
日本史文献事典 (中村太一『日本古代国家と計画道路』) |
弘文堂 | 2003年12月 | 1頁 |
古代交通 研究会 |
日本古代道路事典 (丹波国) |
八木書店 | 2004年5月 | 3頁 |
尾形勇・ 加藤友康他 |
歴史学事典(12)−王と国家− (道路) |
弘文堂 | 2005年3月 | 1頁 |
書 評 | ||||
著 者 名 | 書 名 | 掲 載 誌 | 発行年月 | 執筆頁数 |
中村太一 | 高橋美久二著・古代交通の考古地理 | 日本歴史・579号 | 1996年8月 | 2頁 |
中村太一 | 山中章著・日本古代都城の研究 | 古代文化・第50巻4号 | 1998年4月 | 2頁 |
中村太一 | 金田章裕著・古地図から見た古代日本 | 条里制・古代都市研究17号 | 2001年12月 | 2頁 |
一般向け | ||||
著 者 名 | 題 名 | 掲 載 誌 等 | 発行年月 | 執筆頁数 |
中村太一 | 遺構からさぐる古代の道路 | 別冊歴史読本46 日本史研究最前線 |
2000年6月 | 2頁 |
中村太一 | 計画道路−国家の国家による 国家のためのハイウェー− |
AERA Mook 「古代史がわかる。」 |
2002年7月 | 3頁 |
中村太一 | 海と列島の歴史(1)-(11) | オーシャンライフ・ 第389-400号 |
2003年6月 − 2004年7月 |
各1頁 |
中村太一 | 古代史と地名−その悩ましい関係− | 日本歴史・第668号 | 2004年1月 | 1頁 |
口頭報告 | ||||
報告者名 | 発 表 題 目 | 発 表 学 会 等 | 発表年月 | |
中村太一 | 美作国における古代交通路の研究 | 国史学会3月例会 | 1988年3月 | |
中村太一 | 『出雲国風土記』の方位記載に関する 一試論−古代道路の復原から− |
歴史学研究会古代史部会7月例会 | 1991年7月 | |
中村太一 | 古代備中国における計画道路と駅家 | 国史学会平成4年度大会 | 1992年5月 | |
中村太一 | 備前国における 古代山陽道駅路の再検討 |
古代交通研究会第1回大会 | 1992年6月 | |
中村太一 | 東国国府の立地と交通路 | シンポジウム「古代東国の国府と景観」 | 1994年10月 | |
中村太一 | 藤原京条坊と『周礼』王城プラン | 歴史学研究会古代史部会6月例会 | 1996年6月 | |
中村太一 | 港津の構造 −じょうべのま遺跡に関する一試論− |
古代交通研究会第5回大会 | 1996年6月 | |
中村太一 | 武蔵国の道と役所 | 武蔵国シンポジウム 「国府 国分寺 武蔵路」 |
1998年3月 | |
中村太一 | 地理資料にあらわれた古代道路 | 古代交通研究会第9回大会 | 2000年6月 | |
中村太一 | 都市生活史データベースの作成 | 国立歴史民俗博物館基幹研究 「日本における都市生活史の研究 (A)古代・中世における流通・消費と その場」研究会 |
2000年6月 | |
中村太一 | 日本古代における交易と市 | 国立歴史民俗博物館基幹研究 「日本における都市生活史の研究 (A)古代・中世における流通・消費と その場」研究会 |
2001年6月 | |
中村太一 | 日本古代の交易者-その動機と目的- | 第45回北海道教育大学史学会 | 2001年7月 | |
中村太一 | 山城・駅路・令制国 −吉備地域を中心に− |
第25回古代山城研究会 | 2001年11月 | |
中村太一 | 陸奥・出羽地域に おける古代駅路とその変遷 |
国史学会平成14年度大会 | 2002年5月 | |
中村太一 | 古代道路研究の現状と課題 | 苫小牧駒澤大学環太平洋・アイヌ文化 研究所第10回研究例会 |
2005年2月 | |
中村太一 | 日本古代の都鄙間交易 −交易圏モデルの再検討から− |
国史学会6月例会 | 2005年6月 | |
中村太一 | 駅伝制の成立について | 歴史学研究会古代史部会11月例会 | 2005年11月 | |
中村太一 | 日本古代国家形成期の都鄙間交通 −駅伝制の成立を中心に− |
歴史学研究会2006年度大会 | 2006年5月 |